伝統服飾の発展の過程には洋服の影響によるミッシング・リンクが生じやすい
進化・発展の過程に於ける順番の未発見・不存。
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コレ
伝統的な服飾について調べていると、ミッシング・リンクが多い事に気付きます。
これは西洋文化の舶来による影響で省略しているからです。
チャイナドレスやアオザイなんかは特にその傾向が強く、直線裁断からいきなり立体裁断に移行しました。
日本も「呉服」と呼ばれていた服飾文化から、洋服への移行は必然的でした。
元より日本の服飾は機能性に劣り、古い慣習に縛られる処か新たに規制を設ける程多様性のない文化でした。
画一的ではあれど、自由のない禁止事項が増えて不便極まりない物になったのです。
これは歴史的経緯を鑑みると「進化」ではなく「退化」する戻り道でした。
しかし洋服は違い、文化としての娯楽性も然ることながら機能性すら持ち合わせています。
時代が下り関東大震災が起こると、和服の動き難さ等から被害が増えると言う問題で一気に洋装化が進みました。
英傑坂本龍馬も逃げる際に袴を穿いていなかった事から、浴衣が脚に絡まり転けたと伝えられています。
これと同じ事が起こった事も想像に堅くありません。
現代に至るまでに様々な改良が施された「改良和服」と言われる物も作られましたが、結果は失敗。
呉服業界は衰退の一途を辿りました。
そうした改良和服と言われる物の中には洋服の形だけ真似た物も多く、機能性の発展に繋がる物ではありませんでした。
和服にはない洋服の機能的な二大要素があります。
留め具 と ポケット の二つです。
これは服飾に於いて最も重要な要素と言える必要性の高い産物です。
ですがこの二つは日本で発展しませんでした。
そんな中でこれらを多用した洋服が目の前にあれば、そのまま真似したのです。
つまり和服に洋服要素が付けられた「付け焼き刃」でしかないのです。
日本の文化の中にも合理性の高い要素はありましたが採用どころか排除した為、ミッシング・リンクが発生しました。
それはミッシング・リンクと言う開拓地が残っている裏返しでもあるでしょう。
襟紐が付いた「衣」が庶民の「直垂」となり、
「小袖」を下着として大陸の「袍」を着る事を正当とし、
武士が支配層となった暁に「直垂」を正当とし、
庶民から胸紐を取り上げ「小袖」のみを許し、
南蛮から伝来した「襦袢」すら下着扱いにし、
和服は下着を正当とする文化以上に発展せず廃止となりました。
しかし過去を振り返ると先人達が残してくれた遺産があります。
その遺産を有効活用すればミッシング・リンクを埋められるのです。
昨今の温暖化から復職業界は激変しています。
特に男性が日傘を持ち歩く程の差が出てきた事は、大きな違いでしょう。
日本の気候は高温多湿がエスカレートしているご様子。
この蒸し暑い時代の打開策ならば、アジアの服飾文化に一家言が見られます。
日本の正装も見直さなければならない程に環境は変わりました。
ただ西洋の真似をすれば良いという時代は終わったのです。
具体的に言うと帽子の蒸れで熱中症起こすので、笠の方が通気性が断然良いです。