平安時代と現代の雅楽を同時再生する

平安時代雅楽は今の雅楽とは違う

テンポが速い

 

故に同曲でありながら全く別の音楽になる

 

寒鴉葦考としては平安期と現代の雅楽を同時に演奏した曲などを構想するも、演奏できるわけもなし

諦めて同時再生で我慢する

 

 

平安時代雅楽の再現

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現代のテンポが遅い雅楽

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こんな事思い付くのは、この2つの違いを知る者のみだろう

実行に移す者が居ても、先に発案したのが私であればこれ幸い

日本の机・椅子の復元事例

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奈良時代には椅子と机があり、事務作業に使われていたとされる。

 

衛生問題である事からマッカーサーはテーブルを日本に普及させたと言われ、今日に至る。

しかし古典文化を取り上げれば、車輪の再発明になってる点でもある。

日本古来のテーブルは存在するのだから。

 

和室をデザインするのであれば、斯様な古典文化を取り入れていただきたい。

和風テーブルや和風椅子などではなくね。

 

デザイン案としては「着色・描画・彫刻」等の原始的な二次加工。

その他にもいくらでもあるだろう。

 

着物・和服に於ける アメリカナイズド・西洋化による伝統性の欠如・文化価値低下

この記事を読んで、「着物警察が書いた記事」と誤解される方が多いと思いますので、予め明言しておきます。

 

私が言いたいのは現代に着物マナーと呼ばれる嘘マナーが如何に間違っているかであって、ここに記載された通りにしろという強要を目的とした記事ではない。

着物警察と言ったにわか連中の主張する着物マナー等と言うまがい物で、私や皆さんの礼節度合いを測られる筋合いは無いという事です。

 

所詮着物だ伝統だと言っても「服という道具」です。

人に合わせて着るべきで、人が服に合わせる道理は無い。(宗教戒律などの信仰の自由は除く)

 

 

書き換えられる事も多いので、現時点の記載の記録とする。

 

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江戸時代(西洋化以前で文化の独自性が高かった時代)

 

おはしょり(Wikipedia

江戸時代初期までは男女ともにおはしょりは無かったが、日本の装束は基本的に短くともあたりまでの丈があるため、しばしば動きの妨げにならないよう裾を持ち上げる必要があった。

この目的で着物の前を手でつまんで持ち上げる所作を「褄取(つまどり)」といい、古くは日本書紀にも記述がみられる。

 

平安時代小袖は裾を引きずる丈であったが、「壺装束」という女性の旅姿では、着たものを腰のあたりでたくし上げ、紐で固定した(「壺折」)。

これがおはしょりの祖先ともいえる。

 

江戸時代初期の女性装束は、対丈ではあるものの、地面に引きずる長さであった。これを「引摺(ひきずり)」という。

絵画などでは、一般女性は戸外でも引摺姿で描かれるのに対し、遊女は、着物をたくし上げて帯に挟み、余った布を帯の上から出した姿で描かれている。

1664年寛文4年)、「織物寸尺制」が出され、反物はそれまでより2尺長く作るよう定められた。この規格変更が女性用長着の仕立て上がり寸法にも反映されて着丈が長くなり、何らかの方法で裾丈を調整する必要が生じた。

 

これに対して男性用長着は、現代に至るまで変わらず対丈で仕立てられている。

 

江戸時代中期には、裾を持ち上げるため、前述の「褄取」、メインの帯より低い位置にそれとは別の「抱帯(かかえおび)」や「しごき帯」を締めて持ち上げる方法、ぐるぐると巻いた帯と帯の間から着物を引き出して持ち上げる方法などが用いられた。

並行して、女性用の帯も、江戸初期には現代の男性用の帯と同程度の細帯であったのが、次第に幅が広くなり、享保期にはほぼ現代と同じ幅に発展して、女性の装束は形態上の装飾性を増していった。

 

また、襦袢・長着と一枚ずつ打ち合わせて着重ねていく通常の着付け方(「てんでん前」)のほかに、先に着るものをすべて重ねてしまってからいっぺんに打ち合わせる「一つ前」という着方も行われた 

これも足さばきを良くするための方法である。

 

江戸時代後期には室内でもおはしょりを作ることが一般化し、「引摺」は、「おはしょりをせず、めかし込んでろくに働かない女性」を指す否定的な語となった。

 

江戸後期には動きにくい広袖・振り袖の様な長い袖を着ている知的生産階級(武士身分・僧侶身分など)を侮蔑する言葉として「長袖者流」という罵倒語が生まれたとされるので、江戸時代の人も労働に向いてないという認識があったと推察される。

 

明治時代(西洋化開始で江戸期文化を批判)

 

おはしょり(Wikipedia

明治時代になると、一般女性の間では、「引摺」は一部の富裕層や礼装の際のみの装いとなり、おはしょり姿が日常的なものとなった。

この頃の雑誌にも「ハシヨリ」という記述がみられるようになるが、その形態はまだ固定されておらずさまざまであった。

 

おはしょりの方法は、「着付けをすべて済ませたあとに腰のあたりの布をいっぺんに持ち上げて固定する」着方から、「帯を締める前に持ち上げて固定しておく」着方に移っていった。

 

まず「下締(現代でいう腰紐)」で持ち上げ部分を固定し、その後、帯を巻く部分に「腰帯」を締めるという、現代と同じ方法になっていったようだが、花柳界ではこの2本の役割を1本の長い紐で済ませていたという。

つまり、下締として締めた紐の余った部分をそのまま上に渡し巻いて腰帯としても使ったことになる。

この方法が一般女性にも普及していたようで、当時の雑誌には、

「下締一本ではしょるのは芸妓のすることで下品であるから、良家の子女は品位の高い腰帯やシゴキなどを用いるべきではないか」

といった記述もみられる。

開原榮編『流行』第11号 流行社 1900年(明治33年)

開原榮という人物の個人的意見であり、後述の通り「江戸時代から正しく伝統される文化である膨らんだお端折り」を揶揄する程である事からも考えられる様に、日本文化に対して民族差別的な思想が伺える。

然るにこの意見は「開原榮の差別思想による日本文化に対する侮蔑」と推察する。

無敵の米國の著者である事などから、欧米コンプレックス等があったのではないか。

 

この「下締」と「腰帯」は用語として混同されていたようで、

縮緬の染鹿の兒地へ露草、若竹、花桐等の模様を顕はしたる下締流行…色合は好々なれども、帯の下よりちらほらと見ゆるもの — 開原榮編『流行』第13号 流行社 1900年(明治33年)

という記述もみられる。つまり、おはしょりを持ち上げるための下締を、(品位の高い腰帯やシゴキのように)装飾としてわざと見せる着方が流行していたということになる。

昭和初期頃までは襦袢もおはしょりが必要な着丈であったため、この時代のおはしょりはぽってりとふくらんだ形に作られることも多く、

腹の辺にカンガルーといふ獣の如く、無益の袋を作るは真に抱腹なり — 開原榮編『流行』第7号 流行社 1900年(明治33年)

などと揶揄されることもあった。

しつこい様だが、開原榮の個人的見解(差別思想)であって、異文化に対する差別でしかないので正当化すべきではない。

おはしょりの中心をしごき帯で締めた島津斉彬の娘たち(1858年頃) 
明治時代が始まるのは1866年とされているので、この当時はまだ江戸時代になる。

つまり江戸時代のお殿様のご息女もしていた様な由緒正しい服装を、開原榮は差別思想から批判している事になる。

 

ぽってりとしたおはしょり姿の山階宮安子女王(1920年

明治時代ではあるが、皇族子女の由緒正しい服装のお端折り。

これらの史実を無視してお端折りの膨らみ加減に無礼を唱えるのは、アメリカナイズドや西洋化と言った文化的自殺行為である。(俗にミーム汚染とも言われる)

 

大正時代(関東大震災をきっかけに洋服が普及し始める)

 

 

着付け(Wikipedia

また、大正時代以降は、男女とも「長着が普段ものでも羽織を着れば礼服扱い」となり、日常的に羽織が用いられるようになる。

小泉和子編『昭和のキモノ』

スーツを着る現代風俗に反対意見が多い昨今、羽織を着ただけで礼装とされるのは容易且つ安価である点で見直されてもいい長所。

 

大正から昭和初期には、広まり始めた洋装の美意識が着物の着付けにも取り入れられ、洋装のバランスを模して、帯を極端に腰高に締め、下半身をすらりと長く見せる着付けが流行した。

小泉和子編『昭和のキモノ』

江戸期に「柳腰」や「蜂腰」等の表現も見られる為、西洋化以前にも見られたかも知れない。

 

 

 

 

昭和時代(アメリカナイズド・西洋化へ向かい文化性が著しく低下)

 

着付け(Wikipedia



昭和25年頃から昭和30年代前半(1950年代)には、既に洋服を着慣れていた女性たちに向けて、ブラジャーやコルセット・スリップなどの洋服の下着を付け、あえて体の線を強調する着付けが盛んに提唱された。

これに伴って、従来は腰骨の位置で締めるものであった腰紐を、洋式にウエストの位置で締めることが推奨された。肌襦袢長襦袢など、従来の和装用下着をすっかり省いて着付けを簡便にすることも提唱された。

昭和32年の『主婦の友』4月号には、「体の美しい線を出す新しい装い方」という記事が掲載されている。

礼装としての着方かは不明。

 

おはしょり(Wikipedia

 

 

昭和初期には、おはしょりは身丈や着姿を調整するためのものとなる。

 

1928年昭和3年)には、美容家のメイ牛山により、長襦袢のおはしょりの調整によって体型補正する方法が紹介されている

和田博文『コレクション・モダン都市文化』ゆまに書房、2004年。

メイ牛山の個人的見解である事は言うまでもない。

他者の誠意や礼節を測る基準であるマナーや礼儀作法とするべきに非ず。

 

昭和30年代には、長襦袢は対丈で仕立てられるようになったため、おはしょりもすっきりしたものとなる。

和裁書や着付け書などで「おはしょり」という語が出てくるのもこの頃からであり、1958年(昭和33年)の和裁書には「おはしょりの幅は7cmくらいが適切」との記載がある。

この和裁書の文化的正当性は知れず。

独自性高き伝統文化である江戸期のお端折りの文化的正当性に比べれば、歴史的にも文化的にも浅い。

 

また、和裁書には「着る人の身長に合わせ、おはしょり分が多くなりすぎないように計算する」といった記述、着付け書には「おはしょりが多い場合・少ない場合、それぞれの着付け方」などの記述がみられるようになる。

昭和中期にはおはしょりの下端を斜めにすることも流行し、1960年の雑誌の着付け記事には以下のような記述がある。

おはしょりは出し方にも色々と表情があります…大体5センチから7センチ位で、背の高過ぎる人はたっぷり真直に出しますと高さをかくすことが出来ます。
性格の上では、多めに出し、傾斜をゆるくつけたのがおとなしく、少なめにかなり右上がりに傾斜をつけると、すっきりとモダンに背が高く見えることになります。 — 『婦人生活』 昭和35年1月号付録 『新しい・わかりよい 和服裁縫全書』 同志社 1960年(昭和35年)

また、生地が傷んだ部分を繰り回して仕立て直す場合、おはしょりの内側の見えないところに傷んだ部分がくるようにするなど、実用的な役割も持つこととなる。

 

 

 

現代(西洋化以降の悪影響に伴い、着物警察などが嘘マナーを強制するようになった)

 

着付け(Wikipedia

日常生活の中から和装が姿を消し、着付け方法はおろか、和服全般についての家庭内での自然な伝承が途絶したため、「着物の着方」を、着物に詳しい者に一から教わる必要が生じたのである。

こうした、日常生活に必須ではない「教養としての着付け」では、現在まで続く「体のラインを隠すように直線的に着る」という、「洋服にはない、着物ならではの着姿」が推奨されるようになった。

腰紐の位置も洋式のウエスト締めから腰骨締めに戻り、「凹凸のない、ずんどうの着物体型」が良しとされて、和装ブラジャーやタオル等による体型補正が生まれた。

 この頃、着付けのためのさまざまなアイデア商品が生まれた。現在では使われなくなったものも多いが、上述の和装用ブラジャー、メッシュの帯板や衿芯、コーリンベルト(腰紐として使う、ゴムベルトの両端にクリップがついたもの)などは現在もよく使われている。

恐らく「凹凸推奨の西洋文化」に対する逆張りとして「寸胴推奨の日本文化」と言い出したのでは無いかと、個人的には推察している。

その他にも

「西洋服飾文化は曲線裁断・立体裁断」で「日本服飾文化は直線裁断・襞による曲線対応」

「西洋人は逆三角形の体型」で「食習慣が西洋化以前の江戸期の日本人は寸胴体型」

という類似した逆張りの論いも耳にするが、間違いである。

恐らく洋服文化の教養がない日本人が勝手に言い出した造説。

正しくは

「西洋服飾文化は直線裁断・襞による曲線対応を始めとして、曲線裁断・立体裁断をも発展させた」

というのが史実である。

抑、直線裁断と襞による曲線対応は、世界中の民族で見られる原始的な服飾文化であり、日本独自ではない。

体型に関して言えば、逆三角形の体型を形成するのは「肋骨の形状が樽型肋骨」である事によるが、民族によって違いがある訳でもなく、ましてや食習慣が西洋化しても変わる要素では無い。(骨密度や太さは変わっている)

白人に於いても短足寸胴が平均的な体型とされており、人種や民族の差異による物でもなければ、食習慣の差異でもない。

この様な造説が普及している現状は、正しい伝統文化保全の観点から懸念すべき状況であり、適切な対応が望まれる。

 

こうして着付けは「型を守って行う」ものとなり、着物自体も、気軽には手を出せない難しいものとみなされるようになって、ますます日常生活から離れることとなった。

小泉和子編『昭和のキモノ』

 

その後、1990年代以降のアンティーク着物ブームによって「ふだん着物」が見直されて以降は、こうした堅苦しい着付け作法に異を唱え、自由に楽に着ようという動きも生まれている

一方、昭和40年代に確立した「正しい着付け」のみを是とし、街中で通りすがりの和装女性に着付けの難を指摘したり直したりする、いわゆる「着物警察」と呼ばれる年配女性も存在し、着物を愛好する者同士のあいだにも派閥や軋轢が生まれている。

厳密には男女を問わず着物警察は存在する。

また、昭和期という西洋化が甚だしい時代、尚且つ江戸時代の伝統文化性といった「伝統文化としての正当性」を欠如した、フェイクロアによる着付け等を正当なマナーとして扱う事には私としても断固反対する。

健康被害なども考慮すると、現代で日本の服飾文化のマナー等を見直すべきである。(正座による関節の負担・帯などの内蔵圧迫の負担などが挙げられる)

 

 

 

 

 

 

 

現時点での脚注

着付け(Wikipedia

 

おはしょり(Wikipedia