マナー・礼儀作法を決める正当性がある基準4つ 嘘マナーを認めると自作マナーも認められる正当性がある
マナーや礼儀作法と言った他者に対して礼節を示す言動は、明確な基準がある訳ではありません。
ですが最低限の破ってはいけないルールとして法律等があるのですから、全く基準が無いとは言えません。
そこで明確な基準として4つ挙げる事ができます。
「衛生観念」
「法律」
「宗教戒律」
「伝統文化」
上記の4つを基準とすれば、まず間違いはないでしょう。
そしてマナーを決める基準にしてはいけない事もあります。
「素人判断」と言った要素を持つ「同調圧力」です。
下記にて優先する順に解説します。
「衛生観念」
衛生観念は最優先項目となります。
というのも人命にも関わる点ですので、最も重んじるべきである事は言わずもがな。
これは基本的に衛生観念の専門家である、医師や研究者の方々に意見を仰ぐべきでしょう。
下記の法律は最優先ではなく二番目です。
理由は後述します。
「法律」
法律は対象範囲内に於けるルール、規則ですから優先度は高いのですが二番目です。
読んでいる方の中にも「なぜ法律が最優先されていないのか?」と疑問に思われる方もいらっしゃると存じます。
しかし「悪法もまた法なり」等の法律では対処できず、最悪の場合では人命を脅かす事もありますので最優先は衛生観念と考えられます。
しかし二番目に重要なのも事実です。
日本の現行法ではマナーに関する法律はあったりします。
「墓の上に乗る事は違法」
「葬儀の信仰を妨害する事は違法」
等、意外にも法規制があります。
そう言った意味では法律はマナーを作る際に目を通すべき物です。
ここで衛生観念を最優先にするべき架空の事例を示しておきましょう。
葬儀の最中に駆け込んできた人が葬儀を中断させた。
法的には妨害行為なので通報しようかとも考えたが、
「近くの工場で有毒なガスが流出したので避難指示が出ている」
という旨である為、罪に問うべきではないと判断された。
この様な事態が発生しては法律は二の次とするべきです。
こういった事態も想定した上で、衛生観念を最優先するべきなのです。
「宗教戒律」
宗教戒律が重要視されるのは、あくまで信徒に対してのみです。
無宗教者や無神論者と言った方々も「信仰の自由」の内である「信仰しない権利」で宗教に所属してない訳です。
然るに戒律の作法を強要する事は、強要罪等の罪に問われる可能性もあり二番目に優先される「法律」を違反するマナー違反となります。
しかし宗教葬等の葬儀に、個人の権利と判断(他者に強要されてない状態)で赴いたのであれば、宗教葬の戒律に従うべきではあるでしょう。
どうしても従いたくないのであれば退席する事です。
さて、ここで宗教戒律より法律を優先する理由を解りやすく解説する為、架空の事例で証明しておきましょう。
とある伝統宗教の葬儀の戒律にて「故人の遺体を山に放置し、野生動物に食べさせる」と言った旨がありました。
しかし「死体遺棄」等の罪に該当した為、禁止する命令が下されました。
と、まぁ実にシンプルなものです。
宗教は法律や衛生観念から作られている訳では無いので、戒律が法的に禁止されたり、衛生観念からドクターストップがかかる事もあります。
然るにさほど正当性がないのです。
これは下記に記す「伝統文化」の項目と、ほとんど変わらない理由です。
「伝統文化」
伝統文化は衛生的な訳でも法的拘束力がある訳でもなく、ただの「続けられてきた習慣」でしかありません。
「思想の自由」として尊重する正当性はあれど、反宗教思想の方が宗教関係の行事に赴いておきながら従わないのはマナー違反と言えます。
ここで架空の事例で解説しておきます。
故人の意向で宗教葬の葬儀が行われる事に対し、参列した一部の人々は
「この地方ではこういう作法があるから取り入れよう」
と伝統文化を取り入れようとしました。
しかし葬儀を任された宗教家(僧侶や神父等)は
「この宗教では戒律で禁止されている作法です。そして今回の葬儀はその戒律の宗教葬ですから、取り入れる事はできません。」
と却下しました。
この様な事態を考慮すると、微差程度と言えども優先度は「宗教戒律」を優先するべきと考えられる次第です。
まぁこんな事は滅多にないと思います。
しかし宗教行事の戒律で指示された戒律ならば従うべきでしょう。
しかし「なぜ伝統文化が基準として挙げられるのか?」と疑問に思う方もいらっしゃる事と存じます。
簡単に言えば「衛生観念と法律を除けばマナーは文化(習慣)そのものである為、基準として伝統文化は正当性として扱われる」という事になります。
伝統文化は従わずとも法的な罰則は無いし、従う理由が無いのです。
しかし衛生観念と法律にのみ従い、
宗教戒律に対しては「無神論者だから従わない」とし、
伝統文化に対しては「従う理由も義務もないし反伝統主義だから従わない」とする。
この様な場合だと「マナーも何もしない」という事になるのです。
前記の通り最低限以上のマナーは文化でしかないので、反伝統文化主義の方は何もする事がありません。
最低限の事はやっているのでマナー違反でも悪い事でもありませんが、割と退屈なのです。
退屈に耐えかねて「やっぱ何か選ぼう」と言う人も出てきます。
しかし衛生観念と法律は従うとしても、宗教戒律は嫌だ。 という方には伝統文化ぐらいしか基準の選択肢がないのです。
どちらかと言うと妥協点に近いです。
上記4つ以外に基準がほとんど無い
「他にもマナーの基準はあるんじゃないの?」と考える方もいらっしゃると存じます。
しかしほとんど無いんです。
と言うのも「マナーは文化そのもの」である為です。
衛生観念による人命の尊重からマナーが決められ、法律でマナーが決められるのは強い正当性があるからです。
しかし宗教戒律と伝統文化は従いたくない人は「信仰の自由」と「思想の自由」という従わなくともいい権利と正当性があります。
宗教に抵抗があるのは「破戒僧」にも代表される通り、数多くの方が信仰を拒みます。
そうなると「伝統文化から都合の良い所だけ採用する(長所だけ遺して短所は廃す)」という方法しか残っていないのです。
伝統以外の文化で決めるとなると、大半が嘘マナー由来です。
ビジネスマナー等と言っても由来を辿ると失礼クリエイターが作った嘘マナーだったり、一部の界隈が作ったマナーを持ってきただけだったりします。
そんなマナーで許容されるなら「自作したオリジナルマナー」を許容する正当性にもなる、すなわち「なんでもアリ」状態になるのです。
衛生観念と法律に違反しない程度に暴れる事ができる「自作マナー」を作ってしまえばやりたい放題です。
故に最低限程度の基準に認められるのが「伝統文化」という訳です。
それでもマナーを新しく作るおつもりの方は参考にどうぞ。
貴方だけのマナーとなるか、多数の人が従うマナーとなるかは民意次第です。
基準として扱ってはいけない要素
ここまで「マナーを決める基準」を解説しました。
しかしこれらの基準を無視したマナーを作り出し、世にばら撒くマナー講師が存在するのが実情です。
そして大変迷惑な存在が「間違ったマナーを正しいと誤解して人に強要する人」でしょう。
着物警察なんかが代表例です。
そこでここから先は「マナーを決める基準として扱ってはいけない要素」を解説しましょう。
「素人判断」
これが禁止要素です。
正当性が低いです。
簡単に解説しますと「知っているつもりで素人が勝手に決める事」は大半の界隈でタブーとされます。
知らない訳ですから判断が間違っている可能性が高い。
衛生や法律の専門家にも相談して決めるべきでしょう。
素人が勝手に決めていいなら全ての人が自分でマナーや作法を決めて、上記の様になります。
失礼クリエイターや嘘マナー講師とはこの様な素人なので、カモにされない様に注意しましょう。
余談
ここまで述べた仕儀は「マナーを決める基準」と「マナーを決める基準として扱ってはいけない」という旨であり、「〇〇するのがマナー」と言った旨の言説ではありません。
そして失礼に対しても言及している旨の記述もある程度書いたので、私も失礼クリエイターと他者から呼ばれるかもしれません。
礼儀作法は文化である事が多い為、異なる文化の地では礼節と扱われない事もあります。
そういった問題もある為、これからも問題視され続けていく事になるでしょう。