着物の問題点 袴という下衣
伝統衣装とされる文化を復興する。
こんなテーマは古今東西あるもので、今もなお尽きない議題です。
復興論談に必要なのは「問題点」をまとめておく事。
まずは日本の下衣である「袴」の問題点をまとめます。
①袴の定義が曖昧
②布の量が多く機能性に欠ける
③腹部を何重にも締める事から内蔵を痛める
④着脱が難儀で直ぐに穿けない
⑤直に穿くと脇空から素肌が見える
⑥角度の広い開脚に対応してない
それぞれ解説します。
①袴の定義が曖昧
これは「和服に属する袴」と言う定義が曖昧な話です。
古今東西御多分に漏れず、日本も服飾の系統樹などは作っておりません。
あまりこれといった定義がないのは現代服飾と同じで、値札に名前が付いて区分けされる事で名前が判明します。
日本の下衣としては股引と言う物もあり、カタグシの発展型の様な感じでしょうか。
袴と呼ばれる物は前後に布地がある物が多く、股引は前だけです。
現代服飾としては使い難い点です。
しかしこれも俗に袴と呼ばれていた事もあり、名前だけは大差なく扱われてきました。
古典的な袴を参考にすると「一本腰」型式含め、大半が否が応にも左右の脇空が設けられている事から
「袴と名付けた左右の裂け目を用いる下衣」
を、袴の定義として独唱してます。
(この下衣とは襠を用いない行灯袴状の構造も含まれます)
腰紐の長さや襞の有無は構造とは関係ないと言って差し支えないと思います。
この際、袴の語源となったと言われる「裳」は袴の定義から外します。
裳が「ハカマ」以前からあるか、本当に「ハカマ」の語源になったのか確証が持てないからです。
形は似てますが、下衣で類似するものは他にもあって断定し難いです。
ただ例外は多数あるのであくまでここだけの話という範囲です。
②布の量が多く機能性に欠ける
実用した方なら経験がお有りでしょうが、階段で裾を踏むなど日常茶飯事となっております。
股立を掴み、裾を無理矢理上げて走る姿は時代劇で見る事もありますね。
布地が多い服飾文化は古今東西洋を問わず贅沢として扱われ、ヨーロッパでは大きくしすぎたスカートによる死亡事故などが決定打となり、衰退しました。
日本の着物も同様の理由で関東大震災後に衰退しました。
徳川幕府も「庶民は動き易い短い着物を着るべし」と御触れを出しましたが、反骨精神で意地でも長い着物を着た為に、おしごき・おはしょりが生まれました。
この様に布地の使用量が多いのは、伝統性の重視が影響していると言うのが私見です。
飛鳥時代頃の日本では、まだ貨幣経済が発達しておらず「絹の生地」を物々交換で使用していた歴史があります。
平安時代も税として献上されていた程で、天神・菅原道真も朝廷から「献上された絹の質が悪い」と言われて怒っております。
その為か、日本では曲線裁断を好まず直線裁断で
「如何に端材を出さないか」
という思想が構築され、それが連綿と伝統され「お引き摺り」などはお姫様の贅沢とされ、江戸時代の呉服店は「反物を少しだけ切り取るのはお断り」と言って巾着すら作らないのが当然でした。
反物一つで丁度、着物一着分の布地なので、欠けたら小袖が作れないのです。
因みに巾着作ってくれたのが「越後屋」です。
結果、袴の布幅も莫大な物となりました。
勿論動き難い事から「儀式用」とも分類されます。
労働着の袴だと裁付袴・軽衫袴などが有名で実用品として使われます。
③腹部を何重にも締め付ける事から内蔵を痛める
これは医療現場から指摘されていますが、長着や袴は一度締めると緩める事が困難です。
そして我慢している内に内蔵にダメージが蓄積される事から
「着るのを辞めて下さい」
と医者から禁止される事もあります。
ドクターストップです。
我慢しなければならない現場も多い事から、簡単に調節できる洋服のベルトに比べると機能性に劣ります。
機能性に劣れば排他されます。
現に選ばれなくなりました。
④着脱が難儀で直ぐに穿けない
③にも書きましたが、紐を何重にも巻きつけて縛り付けます。
固定されて無いので着崩れ易く、走る事も儘なりません。
しかしソレは裏を返せば「簡単に脱げる」って事じゃないか?
そうはならなかったよチクショウッ!!
逆に着脱が難儀すぎて用も足せません。
じゃあ昔の人どうしてたのかと言えば
平安時代 袴の裾から竹筒を入れてボトリングして、大は股間が縫い付けられてないので開閉してから雪隠に入る。
戦国時代 襲われた時の隙を減らす為に股間を縫い付けないままにしてある。
幕末 ↑同上↑
発展はあまりありません。
つまり、あぐらで座ろう物なら股間も御開帳する訳です。
勿論現代に於いても不採用。
ズボンと同じ様に脱げるようにしてあります。
着崩れしやすい問題はやはり、腰紐を固定する構造が無いことです。
⑤直に穿くと脇空から素肌が見える
スラックスだと下衣下着であるトランクスの上から穿いてますが、袴には脇空けが空けられておりますのでそのまま穿くと下着と肌が見えます。
その為、素肌を隠す下着が必要でした。
それが現代に於いて俗に「着物」と呼ばれる「小袖」です。
襦袢が伝来される以前はそもそも下着であって、上から着る物ではありません。(襦袢も本来は下着ではありません)
しかしスラックスに入れたシャツ同様に、短いと股関節や腰関節の可動領域に対応せずはみ出します。
無論パンツも肌も見えるようになります。
⑥角度の広い開脚に対応してない
古今東西洋を問わず、ズボンの型式は股関節・腰関節への対応が難点です。
腰を曲げて礼をすれば避けるお尻の縫い目・・・
高い段差に足を上げて避ける股間の縫い目・・・・・
その為、ズボンというのは近代的な服飾で、洋服でも昔はスカート状の服が一般的でした。(チュニックなど)
袴の布地が多い事にも触れましたが、一つはこの関節への対応という役割も含まれます。
ここまで書き連ねました。
皆さんの論議の参考になればコレ幸い。
まぁコレ書いてる時点で全項目解決してますけどね。