襦袢・具足下・鎧下着・鎖帷子・合羽・陣羽織の構成要素
タイトルにもある通り、襦袢・具足下・鎧下着・鎖帷子・合羽・陣羽織を分析して構成要素をまとめる。
襦袢
襦袢はヨーロッパ全土に見られる鎧の下に着る服「プールポワン」の一種。
ポルトガルから伝来した南蛮服飾として知られる。
ポルトガル語では「gibão」と書く。
襦袢の構成要素として
立襟
ボタン
笠鞐
責鞐
等が見られる。
ボタンは南蛮伝来の留め具だが、日本では奈良時代には既に鞐と言う留め具が使われており、製造も安易な為か笠鞐と責鞐のセットが使われる事も少なくなかった。
これは後述する和服に共通する。
本場のgibãoは絵画にも見られる様に締まったウエストの下から広がっていく形状の布がある。(名称知らず)
恐らく装飾的な部品。
日本でもこれを模した形状の部品が付いた襦袢が作られたが、元が装飾で意味がないことから廃れたと見られる。
一方で後述する鎖帷子では、鎧の草摺の様な部品として発展した様にも思えるが、gibãoの部品が草摺になったのか、草摺を縫い付けて偶然似た形状になったのか定かではない。
具足下・鎧下着
小袖の襟から下に着た襦袢の立襟を覗かせるスタイルが流行した事もあり、下着として使われる事になる襦袢だが、元来ヨーロッパでは鎧下着として使われた事も相まり、日本でも鎧専用の下着として従来の鎧直垂の後釜に座る。
それがこの具足下・鎧下着である。
構成要素としては
立襟
笠鞐
責鞐
ボタン
腰紐
となっており腰に留め具が無く、紐の着物がまま見られる。
具足の下に着るためかはわからないが、前述の襦袢や後述の鎖帷子と違い、腰紐を使う例が多い。
名称の区別についてはハッキリしておらず、議論の分かれる所と思われる。
鎖帷子
日本の鎖帷子でもかなりポピュラーな存在になっており、襦袢に鎖を縫い付けただけのシンプルな構造となっている。
そのため構成要素は襦袢に
鎖
が追加しただけで大した変化はない。
しかし前述した通り、下部に鎖の草摺が縫い付けられた帷子も見られる。
その他にも鎧ならではの様々な工夫がされ、形式も一概に断言できるものではなくなった。
なんなら鎖以外に鉄板を付けた物もある。
余談だが、くノ一というと網タイツと言う現代の文化だが、実はかなり伝統的な文化で、歌舞伎衣装の「素網」という鎖帷子を模した網の服が由来である。
仁木弾正などが有名。
合羽
ポルトガルから伝来したマント状の南蛮服「capa」が由来。
構成要素は
立襟
笠鞐
責鞐
ボタン
だが、前を閉じる機構が首周りの留め具のみの場合も見られる。
様々な変換を経て今は雨具となった。
しかし同じく南蛮服のgibãoと融合させられ、袖が付いた服状の「袖合羽」へと発展した。
本来の形状に近い物は「丸合羽・坊主合羽」と呼ばれ、袖が付いた物は「袖合羽」と大別できる。
袖合羽の名称においても様々あり、「紙・半・長・桐油」が「〇〇合羽」の〇〇に付く。
当然、丸合羽にもその名称が使われる場合すらある。
守貞漫稿には留め具を「装束と呼ばれる牡丹掛けがある」と書かれているが、なぜ装束と呼ばれていたのかは不明。
また牡丹掛けと書いてあるが実際には笠鞐が使用される事も多々あり、釦が使われても責鞐が併用されたりするなどの実情から
「江戸時代の人々は留め具の事をボタンと呼ぶ様になっていた」
事が伺える。
鞐はかなり古くから日本在来の留め具だが、ボタンにその立場を席巻されていた事が解る。
「留め具」の代わり言葉が鞐からボタンになっていた様にも思える。
余談だが江戸中期頃に発明された爪型の小鉤や笹止めをこはぜと呼称するなど、鞐が留め具の意味を持って使われる単語だった事は忘れてはならない。
陣羽織
甲冑の上から着る防寒着で、現代においては袖無しの形状がイデア化している。
南蛮服飾の影響を受けた日本文化であり、南蛮服飾の真似ではない点は注目に値する。
構成要素として
立襟
笠鞐
責鞐
ボタン
と言った具合であまり変化はない。
様々なデザインがあり、羽織という点以外はこれと言って共通点がない。
武将の死装束としての側面もあり贅沢な仕立てや工夫が見られるが、過剰装飾に至らず無駄の少ないデザインが多く散見される。
当時の茶聖・千利休の侘茶思想の影響かは不明。
留め具による着脱の合理性
ここまで書き連ねた品々はどれも留め具が用いられる。
服飾における重要な「着脱速度」の是非を決める道具だ。
これは極めて重要な構成要素だが日本服飾では軽視され、和服が未発達な理由となった。
そして合理性の欠けた日本服飾は合理性の過剰欠損から完全に姿を消した。
現代は身分制度・奢侈禁止令・徳川幕府も亡く、個人の人権で服装を選ぶ事ができる自由の時代だが、西洋文化の影響を受けた現代日本人には
「ヨーロッパがやってるから日本もそうする」
という思考が混じり、日本文化の発展ではなく西洋文化の模倣に至っている。
自由が来るのが遅すぎた。