着物の礼装に「襦袢」と「合羽」があれば楽に着られる・着物マナーは嘘マナーとして作られた

着物のマナーは面倒臭い。

そんな風に考えられ、市場規模が衰退するばかり。

面倒臭いのが事実なのだから仕方ありませんが、その面倒臭いマナーを撤廃しないのが一番の問題です。

 

私はその撤廃の一環として「長襦袢になる前の襦袢を礼装とすれば楽に着られる」という提案がしたい訳です。



 

 

 

 

襦袢の由来

まず襦袢に対し「着物の下に着る服」と考えてる方が多いのですが、少し誤解です。

襦袢の日本での歴史は

 

 室町時代南蛮貿易で南蛮服「ジバン」が伝来(ポルトガル語であり、ヨーロッパ全体に普及していたプールポワンと総称される服)

 ジバンを着物の下に着て、着物の襟からジバンの立ち襟を覗かせる服装が流行

 その後、着物の下に着る「インナーウェア」に当たる服は全般的に「襦袢」と総称する様になった

 

という経緯があります。

つまり「長襦袢」はあくまで襦袢の一種です。

下着という誤解が広まっていますが、ブラジャーやパンツ等の下着とは全く文化的コンテクストが違うので下着ではありません。

 

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今回論うのは戦国時代頃の「伊達日記」等に書かれている「じばん」です。

立ち襟があったという襦袢、これがどんな着物か知らない人が多いのは仕方ありません。

伝統されず断絶したのです。

厳密には「陣羽織・鎧下着・袖合羽・襦袢籠手」等の原型にもなっているので、ある程度推測できます。

そこで着物を洗張りで作り直して、立ち襟の襦袢を再現しました。

 

半袖なのは夏用だからで、実例はありません。

帯や紐で縛らず鞐で留めますので、着崩れもなければ面倒臭さも無い和服です。

これが着物の礼装の選択肢に加われば、楽に着られる和服として着る方も増えますし商品が1つ加わります。

 

ヨーロッパでのジバンの歴史

ヨーロッパで広く普及したジバンですが、元々はアラブ等の中東で着られていたジュッバが起源の服だと言われています。

それが普及し「白馬に乗った王子様」等が着ている服になっていきました。(英国ではダブレットと言います)

日本では「軍服」と俗称されている服も元々ジバンです。

現代ではスーツや医療従事者のケーシー等になっています。

 

合羽の由来

合羽も襦袢と同じく、南蛮貿易で伝来した南蛮服でした。

元はカパと言い、ヨーロッパではケープへと変遷しました。

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日本では合羽と当て字され、原型に近いマント状の合羽・袖を付けた合羽の二種類に大別できます。

この合羽は正しく伝統されてはいませんが、道行・被布と言われる着物の一種となっています。

そんな合羽の再現品がこちらです。



筒袖なのはドアノブに引っかからない様にする為です。

江戸時代の袖合羽を筒袖にした物です。

上記の襦袢同様、鞐で留めるので着崩れ・面倒臭さ・動きにくさ等はありません。

元々ビジネスシーン等で着られてもいますし、礼装にも向いていると考えています。

 

誤解されてますが、道行・被布は家の中で着る合羽です。(座敷合羽が正式名称)

屋内ではコートを脱ぐから道行を脱ぐという嘘マナーが業界でも広まっていますが、洋服文化によるミーム汚染なので由緒正しい日本文化とは言えません。

 

 

礼装やマナーを勝手に変えていいの?と思われる方へ

結論から言うと「むしろ変えなければならない」です。

その理由を書いていきますが、大変長くなります。

要点だけかいつまんでおきますと、

 

一 日本文化という国籍が有る文化なので、外国は干渉できない点が多い

 着物の伝統的なマナーと思われてるのは、昭和時代にフェイクロアとして失礼クリエイターに捏造された嘘マナーである点

 上記にある様に伝統文化で無いため、文化維持の価値や理由が存在しない

 健康被害や災害等の問題がある

 昔の日本と気候や風土等の条件が変わりすぎて、三の様な健康被害に繋がる

六 江戸時代の礼儀作法を再現すると男女や身分の差別が多く、採用するべきではない

 

という五つです。

 

長くなりますので「そんな事は聞き及んでいる」と言う方は読み飛ばして下さい。

 

伝統文化を変える権利は当事者だけにするべき、という思想

伝統文化の大半は国という属性があります。

あの国の伝統、この国の伝統、と言った事です。

そしてこういった文化は国民性に大きく影響します。

その国民性を決める文化が「外国の影響によって歪む」という点が問題視されたのは、もう随分昔からです。

 

昨今は「文化盗用」と言う言葉が盛んに使われていますが、ああ言う事です。

ミーム汚染とも言いますね。

上記の合羽の項でも述べましたが江戸時代が終わり、明治時代になってから西洋化の影響で「屋内で着る座敷合羽が、洋服のコートと同じ扱いになった」というミーム汚染があります。

日本以外でもあります。

 

例えば「チャイナドレス」は中国の旗袍という服を見た米国人が、アメリカのドレスをデザインする時に中華風の要素を入れて作った。

と言われています。

中国の民族衣装ではありません。

 

ベトナムではフランスに植民地にされた影響でアオザイという服ができました。

元々ベトナムでも立体裁断は使われず直線裁断が主流で民族衣装が作られていた伝統文化でしたが、フランスが植民地支配した影響から立体裁断で作り出した服です。

伝統文化と扱うには反対の声がある程です。

 

ネパールでも神の山と言われていたのですが、イギリスの植民地支配の影響で「エベレスト」と改名されたりもしました。

エベレストの件は名前の由来であるジョージ・エベレスト氏が「他国の文化を外国の影響で変えるのは反対だ。」と言う真摯な姿勢を取っていたのですが、ネパール人達が賛成したので変わりました。

これは「文化的自殺行為」と言う現象です。

 

こういった文化交流問題は世界中で起きています。

日本が影響される事も、影響する事もあります。

こうして「他国の文化に不必要な干渉をするべきではない」と非難される様になってきたのです。

 

裏を返せば「文化に問題があった場合、改善する権利はその国の国民にしかない」という事です。

なんなら伝統じゃなくても当てはまります。

故に問題点がある現行の着物マナーを改善できるのは、日本人しか居ないのです。

 

 

 

フェイクロア(伝統文化と偽り販売する事)

まず現代に於いて着物のマナーは「これは江戸時代からある由緒正しい作法で・・・」と語られる事が多いです。(私もよく言われます)

しかし実際には「大正・昭和時代の洋装化の影響」で職を失った和装業界関係者達が、マナー教室を開いて情報商材とした「嘘マナー」である物が大半です。

 

そのマナー教室というのが「着付け教室」です。

不自然に思いませんか?江戸時代には生活の一環として着られていたにも関わらず、着るのに時間がかかり、やたらと面倒臭い、なんてのは生活の弊害にしかなりません。

しかし着付け教室は「生徒から長く月謝を取る」という方針で「複雑で理解が難しい為、長期間通わなければならないマナー」を作り出す方へと向かっていきました。

 

故に面倒臭い・複雑・解りづらい。

そしてやたらと金がかかる。

 

こういった経緯から、当時の失礼クリエイター達が嘘マナーを作っていきました。

それが現代の「和装マナー」の由来です。

 

最悪なのは和装業界全体が被害にあっている点でしょうか。

この嘘マナーが面倒臭いといった理由で客が離れ、着物全般が売れなくなったのです。

 

これで「伝統文化だから守らなければならない」は通用しません。

なにせ伝統文化ではなく、ヤクザ者が情報商材詐欺の為に作り出した捏造なのですから。

 

業界の大物でありながらも動いている方はいます。

コロナ禍の和装業界で唯一、株価が上がり続けた「きもののやまと」の前会長:矢嶋孝敏さんは著書「きもの文化と日本」で「形骸化しているのでやめようと提言しているが、中々浸透しない」という旨を記されています。

実はもう業界の大御所たる人が嘘マナーを撤廃する動きを見せてらっしゃるのが実態なのです。

 

togetter.com

 

伝統文化を守る理由を解説

この「伝統文化」なのですが、よく聞くのは「なぜ守らなければならないのか?」という疑問です。

時代ごとに保全する理由が代わっているのが複雑ですが、現代では「過去の事例といったデータとしての価値」「伝統文化に高い金額を使う客層がとても多い」という二点になります。

それぞれ解説します。

 

昔は「伝統された手順とは間違えた手順を踏むと問題が起こるかもしれない」と恐れられた

まだ科学が発達していない昔。

人類は「なぜ我々は生まれ、死んでいくのか?」と言った疑問だらけでした。

その中には「なぜ病気になるのか?」等も含まれます。

細菌など知る由もない人達は何も解らず、何であれ先人達の経験談である「こうしたら病気にならなかった!」といった「経験則」で判断していました。

これが伝統文化です。

 

この「経験則に従えば良いのかもしれない」と考えた事から伝統が発生します。

勿論、この伝統には迷信も含まれますので本当は意味がない事や、むしろ悪化させる等の悪弊が多いです。

 

しかしそれが判る様になるのは科学が発展してからです。

なのでとりあえず続けてしまい、現代にも伝わっていたりします。

 

現代では「お金になる」という理由が強い

現代では科学が発展して上記の様な習慣に対し「意味がない伝統文化はもう辞めよう」と言う動きが、世界各地で広まりました。

人命にも関わるので当然です。

 

しかし無害で有益な伝統文化も有る訳ですから、こちらは「なにかに使える可能性がある」と言った理由で保全されてます。

そして有益な使い方として「観光収入」という大きな利益が作れる事です

 

伝統文化とは言い換えれば「その国・土地でしか味わえない本物」なので、国の内外を問わず遠い道のりを越え、大金が払われる事が多く、大変な利益になるのです。

その為にフランス・イタリア・スペイン・クロアチアチェコ・スロバキアハンガリー等々・・・多くの先進国は伝統文化保全に観光収入で得た公金を割いています。

なんなら後進国だって割いてます。

 

日本も勿論やってますが、この国の伝統文化は過剰に神聖視されすぎるきらいから「伝統文化はただ守るだけの為にあるのであって、金の為に使う等言語道断!」という声も根強いです。

その為、保全に割く公金が集まりにくい点が課題となっています。

 

 

帯による健康被害・動きにくさによる被災

一番重要なのが「関東大震災」です。

実はこの大地震が日本の洋装化のきっかけでした。

和服の動きにくい点が原因で、逃げ遅れて被災した人々の意見が洋装化へと向いたのです。

やはり「着物が足に絡まって逃げ遅れそうになった!」とかの意見もあったのでしょう。

馬乗り袴で走ると解りますが、片方の足がもう片方の筒部分に引っかかったりして転びやすいのです。

後ろ回し蹴りなんかでも引っかかります。

 

洋装化の後は上記の如く、失礼クリエイターの嘘マナーが氾濫しましたし、業界は三分の一まで縮小しました。

 

これでハッキリしてますが「着物の礼装に動き易い和服を追加しないと、業界の販路が狭まる」という事です。

 

そして健康被害の話です。

和服の大半は「縛り付ける」という形式で固定する服です。

その為、和服ばかり着ている人は内蔵が圧迫されてドクターストップが出たりしています。

しかし警告しても「そういう伝統ですからねぇ・・・」の一点張りで悪化させている為、医療関係者も「和装業界は健康的な服を作って貰いたい」と苦言を呈する始末。

その他にも正座による関節への悪影響等も挙げられます。

 

これでハッキリしてますが「着物の礼装の中に締め付けない形式の和服を追加しないと、業界の消費者が狭まる」という事です。

マナーとしても礼節だからと健康被害が出る事を相手に強要するのは違反です。

 

ティコ・ブラーエの如く内蔵破裂する様な事例からも判る通り、健康被害の出る行為はマナーとするべきに非ず。

 

 

昔と違って今の日本は凄惨に暑い

 

ヨーロッパの乾燥した気候なら日陰に入ると涼しい為、クーラーがあまり普及していません。

だから洋服の様な窄衣型の服装が普及したのです。(窄衣(さくい)は体にぴったりな窄まった服の意味。ダボダボした寛衣の対極。)

 

しかし東アジアの日本は海に囲まれた土地柄故に、湿度がかなり高い上に気温まで上がっています。

窄衣である洋服は今の日本に合いません。

帽子は、頭に熱が籠もるので一々脱いで放熱しなければ熱中症の原因になります。

洋服は生地が薄手であっても汗で熱が籠もり、放熱や換気に向いてません。

空調服なんて電動の服が普及する程です。

 

しかし現状の嘘マナー蔓延る着物の礼装はどうでしょうか?

寛衣である意味がない程に暑いので、熱中症になってもおかしくありません。

補正タオルって江戸時代ありませんからね。

こんな状況では「この国の風土に合った和服を~」なんてキャッチコピーなんて嘘も良い所。

上記でも述べた様に、健康被害を鑑みて通気性を取り入れるべきでしょう。

 

因みに上記の襦袢と合羽は帯を使わず、笠鞐で留めるだけなので高い通気性があります。

筒袖も寛衣になる様に、通気する余裕があるサイズにしてあります。

和装業界の方には是非とも商品のラインナップに加える由、御熟考して頂きたいです。

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本物の伝統文化である「西洋化前の江戸時代の礼儀作法」は差別が多い

最後に「本物の伝統文化を復古すればいい」という意見に答えましょう。

江戸時代の礼儀作法は身分や男女に対する差別が多く、一部を抽出したり参考にはなってもそのまま使う訳にはいかない点が数多くあります。

 

現代に於いても、茶道の家元が江戸時代の礼儀作法として「女性は羽織を着てはいけない法律があった事」を後世に遺していますが、炎上してしまった事がありました。(厳密にはその家元が炎上したのではなく、家元から教わった人がテレビで炎上した。)

 

その他にも奢侈禁止令等の法律で禁止された物は数多く、礼儀作法は差別的な内容が多かったのが実情です。

 

今となっては身分制度がありませんから、その礼法もそのまま使う事はできません。

そして健康に害が無い訳でもありませんから、上に記した健康被害問題も解決し難いのが実情です。

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統括

長くなりましたが、襦袢や合羽といった和服が日本文化にも存在していたのは開拓余地になるという話でした。

最早インターネットの発達と普及で、着物マナーの正体が昭和に作られた嘘マナーである事はバレています。

これ以上する意味がないと大御所の意見もありますし、より良くなる様に変えるべきと一人の日本人として一考しております。

 

しかし変わらない理由として一考するに、「セレブのフリをしたい」という消費者の願望がある点も頷けます。

「セレブをみたいな一流を気取りたくて和服を着ている」という考えの方は多い事でしょう。

わたしはこれを「セレブプレイング」と呼んでいます。

しかしその人達も自分が教わった着物のマナー等が、嘘マナーであると指摘されればいい顔はしません。

一流を気取っても事実を知る人には、騙された被害者と映るでしょう。

そういう意味では被害者を減らす方針を打ち出していきたいですね。