南蛮服が由来の和服「襦袢」と「合羽」の歴史 「着物警察」に対する批判

襦袢と合羽という和服がありますが、これは南蛮貿易があった中世日本に伝来したポルトガルの服がルーツです。

「gibao」が襦袢になり、「capa」が合羽となりました。

 

ヨーロッパに普及していた「ジバン」という服のポルトガル語が「gibao」です。

ヨーロッパのジバンの起源は中東のجبة(ジュッバ)という服。

ヨーロッパのジバンは「白馬に乗った王子様」や「貴族」が着ている服をイメージしていただければ近いです。

中東のジュッバは「石油王」が着ている服とイメージしていただければ近いです。

 

「capa」はケープの語源です。

 

これらが日本に伝来して「襦袢」と「合羽」と言って日本語化しました。



 

 

 

ヨーロッパのジバンとスーツ

前述した通りヨーロッパでジバンが生まれ、最初は鎧の下に着る服で、後に王様や貴族が着ている様な服となりました。

この服はヨーロッパ全土で

ジッバ・ジュッバ・ジバン・ジュバン・ジポン・ジュポン

等、国の言語毎に微妙に名称を変えました。

イギリスでは「ダブレット」と呼ばれ、

フランスでは「プールポワン」という言葉が作られました。

 

ダブレットとはダブル、つまり二重という意味を持ち、裏地がある服という意味です。

プールポワンは中東のジュッバから始まったこの一群を、総称する言葉として作られました。

ポルトガルでは「ポルポント」という名称もあった様です。

 

このジバンが現代でも着られているスーツのジャケットの起源です。

 

ジバンの伝来と和服化

 

ジバンが伝来した日本では、ジバンの上に着物を着てジバンの立ち襟を出す服装が流行。

本来のジバンはシャツの上に着る服なので、スーツのジャケットの上にシャツを着る様な感じになります。

和服で例えると平安装束「袍」の上から「小袖」を着る様な感じです。

 

こうして小袖の下にジバンを着る様になりました。

しかし鎧の下に着る様にもなります。

これが後に「襦袢は着物の下着」と言わる様になり、「鎧下着・具足下」の始まりになったと考えられます。

 

襦袢はTシャツやタンクトップの様な位置取りであって下着ではない

襦袢はその後

長襦袢半襦袢・網襦袢・管襦袢・装束襦袢・汗襦袢・袷襦袢・紙縒襦袢・竹襦袢・対丈襦袢・肉襦袢

等様々な名称からも解る通り、小袖の下に着る服は全て襦袢と呼ぶ様になっていました。

 

明治時代に西洋化して洋服文化が入ってきて以降、洋服の下着に当たる服がなかった事から「襦袢は洋服の下着に当たる服」と言われる様になった為に、下着扱いになったのだと思われます。



その為「襦袢一枚だなんて下着姿の様な物」と言う人が居ますが、洋服で言えばTシャツに当たりますので正確には「ラフな格好」です。

今で言えば「クールビズ」に近い立ち位置と言えます。

clothroad.hatenablog.jp

西洋化する以前の純粋な日本文化では「襦袢一枚で出歩く人」はほぼ確実に居たでしょう。

なにせ「褌一丁で出歩く人」が居たくらいですから、何もおかしくありません。

 

 

合羽から派生した大量の和服

capaから合羽にと転訛し、日本ではかなりの派生を見せました。

 

合羽

 

丸合羽・坊主合羽

雨合羽・桐油合羽・懐中合

 

袖合羽

長合羽・半合羽

座敷合羽

道行合羽・被布合羽

 

等かなりの量が見られます。

探せば他にも色々な名称が有るでしょう。

 

まず伝来したばかりの合羽ですが、当時は武士だけでなく財力のある商人が着ていたと言われています。

しかし身分制度による身分差別により「武士身分より贅沢な服装は許されない」と規制され、庶民身分は一気に地味になりました。

その影響から雨を弾く桐油を塗った紙で出来た「雨合羽・桐油合羽・懐中合羽」が生まれました。

 

また、両手の自由度向上の為に袖を付ける様になり「袖合羽」が生まれました。

この袖合羽は襦袢を広袖にした様な見た目をしており、合羽の要素は殆ど無い見た目をしています。

 

そんな袖合羽も身丈の長さで分かれ

「膝より下まである長合羽」「膝上程度までの半合羽」

と大別されます。

長合羽は武士身分以上でなければ着てはならないという規制があったとも言われており、庶民は半合羽しか着る事が許されないとされました。

しかし実際には守っていた人は居なかったのだと思います。

 

そして袖合羽の系譜から生まれたのが座敷合羽です。

武家の女性は袖合羽を室内でも着る様になった事から「座敷合羽」が生まれます。

合羽が屋内でも着られる服となったのです。

 

その後、当時流行った歌舞伎「忠臣蔵」にてお軽という登場人物が駆け落ち(当時は道行きと言っていた)の際に合羽を着ていた事から、合羽を「道行」と俗称する様になりました。

しかしただの合羽です。

 

また、「被布」という名称も用いられる様になりますが、これは座敷合羽の別称であって当時は「被風」と書きました。

つまりただの合羽です。

この被布は当時大流行して、女性が羽織を着る事に規制がかかったと言われます。

 

kotobank.jp

 

そんな合羽ですが、今や道行コート等と称して洋服の様に扱っている事が多くあります。

しかし実際には夏用の袖合羽が残っていたりする事や、屋内で着る文化が生まれた事などを鑑みれば、ヨーロッパのコートと違う立ち位置である事が解る通りでしょう。

屋内で帽子を脱いだりコートを脱ぐ風俗はヨーロッパの文化であって、和服にそんな風習があるかと言うと別です。

これは和服という日本文化を西洋化して破壊している文化破壊、文化盗用の類に他なりません。

 

余談:合羽の留め具、鞐(こはぜ)の伝統

capaと共に伝来した「ボタン」により、当時の日本にもボタンはありました。

しかし日本では「鞐」という留め具も使われ続けていました。

鞐は国字であり、中国の漢字にはない事から「日本独自の留め具」と言えます。

緩んだ物を改める意味がある「革」と、上下する事から名付けられたのかと考えられます。

「笠鞐」と「責鞐」の二対であり、責鞐が漢字の由来と思われます。





実は合羽の留め具にボタンが使われる際に、責鞐も共に使われる事が多いのです。

ボタンホールではなく紐の輪をボタンに掛けるので責鞐が無いと外れるのでしょう。

 

その為、笠鞐が使われずとも責鞐は長らく伝統されていました。

 

現代ではほぼ断絶しています。

呉服店が合羽を再現しようとしても、鞐だけは手に入らず再現出来なかったとされる程です。

まぁ私は出来たんですが。

 

 

 

最後に

以上の通り、襦袢は下着ではなければ、合羽はコートでもないという事を述べました。

昨今に於いては「着物警察」という輩が出る様になっており、日本復職文化の派生発展を阻害している様子。

やれ着物はそう着る物ではない、やれ正しく伝統文化を守れだのと威張り腐り、新規参入の余地を潰す和服産業の邪魔者と言えるでしょう。

しかしこれらの論いは大変浅ましく、無教養をひけらかす厚顔無恥です。

 

この際ハッキリ断じますが、「自身のセレブごっこの為に和服という文化で他者を叩くな」というのが、私の論いです。

 

「和服を着てセレブごっこしたい」や「和服に詳しい自分教養深い」等、浅ましいのが人間結構ではありますが、他者への批判や実害ともあればあまりに筋違い。

他者はあなたのセレブごっこに付き合って和服を着ている訳では無い。

新規顧客は潰れ、業界は縮小し、押し売りならぬ押し買いなる暴挙に出る業者まで現れる始末。

ましてや「伝統を守れ」等とは笑止千万。

明治期以降の日本文化の大半は伝統を守るのではなく、「純粋で無害な日本文化」すら消しております。

そんなフェイクロアとも呼べる様な偽文化で伝統を語るとは思慮浅薄。

 

述べましたが、襦袢姿で出歩いたとしてもそれは「Tシャツで出歩く様な気楽な服装」に近い物であり、下着姿扱いとは全く別物。

その理論では今現代着物と呼ばれる物も、千年前は下着である。

 

現代でも道行コートと言いますが、コートとは別種の服装として扱うべきであって、夏用の合羽もあるのが現実。

ましてや屋内に於いて脱ぐかと言うと、それはヨーロッパの作法であって、日本文化と分けて考えるべき作法である。

 

まぁ要するに「余計な口を叩くな」という事です。