江戸時代の庶民の豪邸「蔵造り」とは? 見栄え重視の建築様式「蔵造り」の話
よく「江戸時代 庶民 家」とか検索されてますよね
そんな画像検索で出てくる画像は、臆面も排して言うと「みすぼらしい」と言った物が散見されます
剥き出しの木材で作った家に、扉には紙と木で作った障子を使う等、大変貧しい物がイデア化されています
実は海外でも日本の住宅事情は話題にされる程知られておりまして、曰く
「日本の家は寒すぎる」
とか
「日本人は貧しい紙と木の家に住む」
と揶揄される程に酷評されます
それもその筈
実は現代日本の住宅業者すら「今も日本の住宅事情は質が低い」と述べる程だったりします
あまり知られていませんが断熱性の問題等から、冬に寒さの被害に見舞われる人々が多いのです
これは「日本の家と言ったら障子と襖!」というイデア(らしさ・印象)が定着した事から、「日本の建築=木と紙」と認識されている事が一因でしょう
では江戸時代のお金持ちは、そんな寒い家に住んでいたのか?
答えは否で、かなりいい家に住んでいました
今回書くのはそんなお金持ちの豪邸の建築様式「蔵造り」についてです
蔵とは
蔵というと「倉庫」と考えられるでしょうが、江戸時代の蔵は住宅でもありました
そもそも江戸の町は「喧嘩と火事が、江戸の華」と謳われる程に火事が多いため、延焼に強い事が求められました
特に財産を保管する倉庫は延焼防止が必須です
そこでまず燃える事のない「漆喰」で蔵を造る様になりました
家は燃えても、家財道具一式が入った蔵は無事なので九死に一生を得られるって寸法です
むろん漆喰なんて素材を使えば誰だって「彫刻とかしたら派手だろうなァ」なんて考えますよね?
そこで「鏝絵」と言った彫刻や絵を蔵に施し、豪華な建築文化が花開いたのです
度々贅沢禁止の令を出した徳川幕府も「延焼防止で家財を守る為なら・・・まァ・・・」と、言った感じだったのかもしれません
絵や彫刻がエスカレートした蔵は持ち主の経済的なステータスを表す建築物となったのです
「座敷蔵」と言って、中を完全に住宅環境にした蔵も作られる程でした
無論考えます
「住宅も蔵みたいにしたら良いんじゃね?」
と
蔵造りとは
漆喰で木の柱を完全に覆って、防火に特化した漆喰の住宅が建てられる様になると、その建築様式を「蔵造り」と呼ぶ様になりました
ここで意外な事が
日本では楼・庵・軒・亭・閣などと言った名前を建築物に付ける事がままあります
蔵造りの物でもそういったものはあるんですが、住宅であろうと「蔵」と呼ばれる事が大変多かったのです
具体的には「店蔵」です
江戸の町は人口が多いため土地も狭く、店舗兼住宅という事が普通でした
そんな店であり、住宅でもある家を当時の人は「店蔵」と呼んでいたのです
家でも蔵扱いが定着していたんですね
ともあれ延焼防止という絶大な口実を手に入れた富裕層の江戸っ子は、豪華な装飾を施した家を建てる様になりました
こちらは住宅ではありませんが、江戸時代に建てられた蔵造りの様式の「経蔵」です
屋根のすぐ下に漆喰彫刻がある例は稀です
火灯窓でしょうか、大変珍しい窓で滅多にない形式です
入り口の扉は漆喰で固めた防火仕様の掛子構造の扉が使われています
こちらは江戸期の蔵造りの中でも特に豪勢な建築です
羅漢堂自体は
享保20年(1735年)建築
というかなり古い蔵造りです
現存するのは大半が明治以降の蔵なんですが、江戸期の物でこれ程豪勢な物は他にないのではないでしょうか
こちらも江戸期の建築です
www.city.higashihiroshima.lg.jp
兜造りと言われる建築様式を蔵造りにしたものです
日本の建築といえば「城・塔」と考えられがちですが、この様な変わった建築様式も民家建築にはよく見られます
こちらは江戸期の建築を回収した蔵です
黒い漆喰は大変高価である事から、相当な富豪でもないと使えなかったそうです
こちらは八角の窓と扉を有する珍しい蔵造りの御文庫です
この様に江戸の頃には既に様々な窓の形があったんです
発展がなかったわけでは無いんです
知られていないだけなんです
こちらは漆喰による鏝絵の偉大な先人「伊豆の長八」が手掛けた稲荷の鏝絵の扉です
これは大変貴重な物でして、神社の本殿そのものが蔵造りで建築されるという珍しい神社なんですね
しかも日本一であろう左官「伊豆の長八」という、江戸時代の名工が手掛けた作品でもあるのです
この扉にもある様に、「鏡」と呼ばれる部分は文字通り防犯用の鏡だったのが、いつしか経済ステータスを表す鏝絵を描くスペースにもなりました
こちらは江戸期建築の六角海鼠壁の経蔵です
海鼠壁といえば斜め45℃の網目模様が定番ですが、本来は縦横まっすぐだったのが斜に構えられた事から一般化したとか
そんな中では珍しい模様の海鼠壁が作られたりもする訳です
こちらは海鼠壁を黒漆喰で作った江戸期の経蔵です
割と宗教建築等の伝統重視の場でも、蔵造りは採用されていました
こちらは城の蔵、塩蔵です
漆喰と土壁は一定の湿度と温度を維持する効果がある為、夏冬問わず丁度いい温度で過ごせる利点があります
発酵食品である味噌や、醸造される醤油や酒の製造も土蔵の環境が良いそうです
こちらは同じく岡山城の月見櫓
なんと1620年頃の現存だそうで、大変貴重且つ、当時既に漆喰の扉が城郭建築に採用されていた事を後世に遺す重要な資料です
因みに月見櫓とはお殿様が月見をする為の楼閣です
こちらは比較的新しい大正時代の店蔵
黒漆喰の蔵に、銅製の戸が使われています
軽量な点と、緑青の錆が大変美しい点が魅力です
こちらは石蔵というタイプの蔵です
江戸時代に石材を使った建築は一応ありました
海鼠壁の平瓦の代わりに「大谷石」と言う軽量の石版を貼る工法ですね
これはどちらかと言うと地方農山村の蔵によく見られます
この大谷石を使って扉を作る事もあるみたいです
土扉ちゃうやんけ
こちらは四階建ての蔵です
なんと今でも利用されています
まぁ江戸時代にも3階建ての蔵くらいならあったでしょうが、四階建ては明治以降でも残ってるものは珍しいです
こうやってみると現代建築のビルディングと遜色ない見た目です
蔵造りと言うかは微妙ですが「うだつが上がらない」のうだつが上がった町並みです
うだつは防火壁の事です
中国由来の文化ですが、江戸の町並みとしても定着しました
こちらは現代の鏝絵の町として知られる琴浦町です
鏝絵を大変に凝らした豪華な町並みが魅力です
こちらは内蔵(うちぐら)と呼ばれる蔵の町「増田」です
ここでは雪から守る為の「鞘」と呼ばれる上屋で、本来普通に蔵として使われていた蔵を母屋ごと覆っている珍しい建築様式です
なんでも豪雪地帯である為に、上屋を増築する様になったとか
しかしここの黒漆喰は素晴らしい物です
艶が出るまで磨かれており、鏡面仕上げの黒漆喰は見事という他ありません
ちなみに内蔵以外にも「鞘付き土蔵」とも呼ばれたりするそうです
和風と思われ難い蔵造りの現状
ここまで蔵造りについて長々と述べましたが、この蔵造りには問題があります
この建築様式を活用した建築が大変少ないという事です
前述しましたが、皆さんも「和風」と言えば思い起こすのは神社仏閣・城や塔でしょう
そこに民家建築や蔵造りの漆喰建築などは思い浮かべられる事は皆無です
漆喰の蔵造りは大変に活用しやすい建築様式ですが、認知度が低い為に
「和風って感じがしない」
と選ばれ難いのが現状です
西洋化の影響がなかった頃の日本にも、美しく現代建築とも相性が良い建築様式があるのに、日本の伝統文化と思われておられず埋もれているのです
私は普段「鞐」等の断絶した日本文化を活用する術を模索していますが、この蔵造りも断絶してしまうのではないかと、不安になる次第です
鉢巻・腰巻・土扉・海鼠壁・鏝絵・うだつ・漆喰の柱
日本の木造建築には無い美しく重厚な建築様式が、活用されず廃れていくのは口惜しいものです
3Dだったら簡単な蔵は作れるんじゃね?
そこで私は考えました
「3Dソフトとかあるし、アレ使えば出来るのでは?」
と
そして民家建築の様式と蔵造りの様式を合わせた、脳内の構図をコンピューター上に作りました
ハイこれ
画質が悪いのは堪忍下さい
BlenderのCyclesってレンダリングに滅茶苦茶時間かかるので諦めてスクショで作りました
こんな感じです
参考にした建築様式は
櫓造り(甲州民家)
蒼龍楼・白虎楼
兜造り
うだつ
海鼠壁に北斎模様を採用
などです
櫓造りはこれです
甘草屋敷は3階建てなので、鉄筋コンクリートなら追加できると思って2階建ての上に3階建ての突き上げ櫓を追加しました
おっきいですね
蒼龍楼・白虎楼は平安神宮から
平安時代の絵にはもう描かれてた様です
左の青い奴です
鉄筋コンクリートならもう一階くらい増やしてもイケるイケると思って、下は2階建てで、上は最大3階建てにしようと思って力尽きました
とりあえず江戸時代に富裕層の証とされた「雀踊り」を付けてみました
おっきいですね
兜造りはこういうのです
左の赤い屋根の奴です
赤い跳高欄がある所は豪雪地帯で雪が積もった際に、玄関から出られなくなった際に使われる出入り口です
さらに言うと下男等の部屋として使われたり、寺子屋を開いたりするスペースでもあったそうです
大抵は馬屋の上に作られ、家主の生活スペースから土間(玄関)を挟んだ空間だったみたいです
その上は採光の為に使われる窓だったそうです
せっかくなんで兜屋根の下は、コレくらいならバレへんやろと思って5階建てにしました
おっきいですね
うだつは前述の通り防火壁なんですが、
真ん中の奴です
左端の奴と右奥の緑青の窓の高層の奴です
うだつって真横から見るとこんな形してるんです
利剣名号みたいな感じしますよね
だから沢山重ねたんですよ、うだつ
おっきいですね
北斎模様はこれの事です
右端の隣のよく見えない奴です
これです
海鼠壁って元は雨樋なんですが、前述した通り装飾化していく用になったんですよ
じゃあ明治以前の日本の模様使えば良くね?と思って安直に北斎模様にしました
おっきいですね(模様が)