昔の日本の椅子・腰掛文化 座敷伝統による問題
日本は座敷文化で、椅子がない
よく言われますが、不自然な話です
時代劇の描写ですら「茶屋の縁台」と言う赤い椅子が出ます
戦国時代の武将も折りたたみの椅子なんて使っている始末
日本の風俗にも「何かに座る」という発想や感覚は間違い無く有るんですよ
問題はそれが何故「一般的」ではないのか
という訳で本題です
椅子文化の有無
はい、これあります
無い訳がないですからね、そりゃありますよ
現代では椅子と呼びますが、本来は「腰掛け」が総称として使われた様です
その腰掛けにも種類がありまして、背もたれの有無の差もあります
倚子(いし) 床子(しょうじ) 草墪(そうとん) 鬘桶(かつらおけ) 相引(あいびき) 胡床(あぐら) 兀子(ごっし) 曲彔(きょくろく)
この様な名前で呼ばれていたのが日本の椅子文化です
平安時代では部首がイの倚子の字で、鎌倉時代から部首が木の椅子の字が使われた様です
倚子(いし)
倚子(いし)は「御倚子」(ごいし)とも呼ばれ、平安時代初期に天皇、及び高官の身分が使ったと言われています
しかし普段から使うのではなく、儀式等がある時のみ使っていたとも言われており、普段から倚子に座る生活をしていた訳ではないようです
即位礼の際に天皇が座る椅子ですが、なんでも即位礼の歴史の中で採用されなかった空白の期間が長いそうです
御倚子が再び使われたのが大正時代からとの事で、天皇に至るまで座敷文化が定着していた様子
禅寺の坊さんも「縄床」(じょうしょう)という、御倚子の座る所をハンモックみたいにした通気性の良い椅子を使っていたそうです
ただこれに座る事が庶民に許可されたかは判りません
なにせ何でも身分差別の対象になっていたのが「明治以前」の日本の歴史です
庶民如きが所持していい物ではない、と言われなかったかは怪しい所があります
床子(しょうじ)
床子(しょうじ)は長い板に四つの脚を付けたシンプルな椅子です
上に敷物をかけるそうですが、縁台みたいになりそうですね
宮中で使われた様ですが、身分差別がなかったかは不明
普段から家具として使われたかも不明です
草墪(そうとん)
草墪(そうとん)は藁を使った椅子だそうです
これまた宮中で使われたとの事
平安時代は庶民の民俗とかに関心が向けられ難い時代ですから・・・
これは短く切った丸太みたいな見た目の小さな椅子です
官人が束帯姿(当時の正装)で用いたそうですが、これまた日常的に使う事はないご様子
しかし民具としては、同様の物が日本各地の民家で使われています
名称は
どんげ
とん
藁彲(わらとん)
円座
エンダ
等様々にあり、藁の座布団とも混同されている様です
筑後市周辺では竈の前に置いて使っていたとされ、日常的に使われる物だった事が伺えます
現代でも使っている地方もある様で、平安の昔より伝統されてきた椅子文化です
民間でも使われる様になっていた事からも判る様に、身分の隔たりがない貴重な椅子文化です
鬘桶(かつらおけ)
鬘桶(かつらおけ)は能楽・歌舞伎等に於いて用いられる腰掛であり、別称として
葛桶(かつらおけ)
鼓桶(つづみおけ)
腰桶(こしおけ)
等様々な名称があります
元々は鬘を入れていた桶だったのではないか?と言う説がありますが、真偽の程は判断付きません
サイズは
高さ一尺五寸(約45cm)
直径一尺(約30cm)
であり、桶の名を冠する様に、蓋を開けると中には物が入れられる収納を兼ねた椅子でもあります
日本の椅子文化に於いては珍しい形式です
演目によっては座るだけでなく足で乗る事もあるので、耐久性は重要視されている筈です
上記の動画では詳しく紹介なされてますが、高さ調節が出来る様にもなっているという高機能性も備えています
基本的に漆塗りで円筒形状が一般的な物で、背凭れや肘掛け等は見られません
大変シンプルな形状と構造をしている為、今後の色々な発展が期待できる日本文化です
相引(あいびき)
相引(あいびき)は歌舞伎で使われる道具としての椅子です
基本的には立っている様に見せる為に用いられる舞台装置です
役者が立ちっぱなしだったり、正座しっぱなしだと辛いので使われます
大きさは色々あり、細長い高相引が立っている様に見せる為の椅子になります
能楽に使われる鬘桶は、流派によっては負担のかかる座り方をする様ですが、歌舞伎の相引は負担軽減の為に使われる腰掛です
胡床(あぐら)
胡床(あぐら)は折りたたみアウトドアチェアとよく似た形状の椅子です
この形式って千年以上前からあったんですね
大陸からの舶来品だった様です
よく戦国大名が陣中で座ってるアレですね
兀子(ごっし)
兀子(ごっし)はシンプルな椅子です
少し横長の板に四本脚で、御一人様専用の椅子ですね
敷物を敷いて使う点は、床子と同じです
しかし身分差別で敷物の色が変わります
身分に応じて、上に敷く敷物が定まる。
『江家次第(ごうけしだい)』巻17「東宮御元服」によれば、加冠人、親王、大臣は紫色の敷物で紫兀子に、理髪人、大・中納言(なごん)は黄兀子に座すという。このほかに黒塗り兀子、朱塗り兀子、両面兀子、縁兀子など
とある様に、恐らく民間では使われなかったのでは無いでしょうか
曲彔(きょくろく)
曲彔(きょくろく)はお坊さんが使う舶来品の椅子ですが、江戸時代では出産時に産婦が使う事もある様で庶民的ではあったようです
ちょっと豪華な作りで、御倚子や兀子の様な固定された脚の形式と、胡座と同じく交差した脚の形式「交椅」(こうい)で分かれる様です
交椅は摺畳椅(たたみあぐら)とも呼ばれていたとか
仏閣等の寺に於いては「敷石」という石や陶器で作られた床材が用いられる場合があり、土足で歩く床として設置されるんですが、そこで使う為に発達したとも言われています
確かに土足の床に膝を付く訳には行きませんから
大半が交椅なんだとか
これは後々一般でも流行したそうで、民間でも使われたと解釈しても良さそうです
日本の椅子文化について記しましたが、この様に「一般的でない」という点が発展しなかった要素の一つでしょう
既に座敷文化が根強くなっていたのが一番の原因だと思います
座敷文化の問題
しかし座敷文化は伝統という点はありますが、伝統とは学術的な観点からすれば「古いだけ」であり、悪弊となっている面が極めて強いです
①医学の観点で「身体に不健全」とハッキリしている
②人種で差別化される為、国際的に向かない
「悪弊である証」はこれだけ明確な理由があります
医学的な観点から言えば「人体への負荷を考慮していない不健全」という問題点
端座(今で言う正座)は膝への負担が強い為、茶道をしている年配の方は整骨院等を通院します
患者に「脚に不健全なので正座をやめてください」と言ってる医者もおり、また医者の診断を聞かずに脚を悪くする患者が多いとの事
また、あぐらにも問題はあります
この座り方は膝の代わりに腰の関節に負荷がかかります
結局床に直接座る伝統文化は、医学的な観点から見れば「悪弊」でしかないのはよく解ります
ストレッチ程度ならばまだしも、一分以上正座の姿勢を維持するのは靭帯や関節にダメージを入れる事に他なりません
伝統文化の犠牲という点では「生贄」や「火起請」の儀式等と同じく悪弊です
また、膝が一定以上曲がらない人種の人々(アフリカ系の黒人等)からすれば人種差別でもありますから、明治から百数十年も経った今となっても「椅子」という文明を受け入れられないのは問題にしか成りません
「日本は何時まで床に座る習慣を続けるんだ?椅子に座る文明がないのか?」と揶揄されても、逐一正論で御尤もとしか言えない程に座敷文化は不適切なのです
余談ですが、遊楽図等を見ていて「畳は座るものではなく、寝転がって楽にするものだったのではないか?」という印象を受けます。
寝っ転がりながら遊ぶ様な認識があったのではないかと感じます。