江戸時代はボタンが付いた服がないと言われますが、実は割とあります
着物にボタンが無いのは何故?
という話がありますが、厳密には「日本伝統服飾」の「着物・和服」に当てはまる服には付いてます
時期としては戦国時代末期から江戸時代初期
南蛮伝来でボタンが来てからは「南蛮服を模した和服」に使われる様になりました
ですがどちらかというと伝統的に鞐(こはぜ)の方がよく使用されました
皆さんが言う所の「着物」は長着・小袖と言う形式の服の事でしょう
こちらには付けられなかったみたいです
合羽・襦袢と言う服には縫い付けられます
この問題に関しては「当時の縫製技術などの文明はあまり発展していなかった事から縫い付けたくても無理だった」と俗に言われていますが、結構使われています
「では何故、長着には付けなかったのか?」
という疑問はご尤も
出来るならやればいい
着脱が簡単になるし、形も乱れにくい
いい事尽くめですから
けどしない
その原因は定かではありませんが、私としては「文明発展の拒絶」と「嫌がらせ」ではないかと考えています
文明発展の拒絶というのは「保守的」とでも言えばいいでしょうか
敬老精神などの先祖信仰とも言える風習が大変根強い文化圏
日本はそういう文化です
その為、世代交代による変容が少ない事が挙げられます
その一つに「高難易度の行為が出来て一人前」と言った悪弊が見えます
例に挙げれば「帯初め」という風習です
これは今で言う甚兵衛の様な腰紐で結ぶ着物を辞め、帯で締める服装へと変更する事を、児童の成長として行う通過儀礼です
成長の証として帯を締めると言いますが、裏を返せば「腰紐の付いた服装は子供の格好」と言ったきらいがあるとも言えます
着用経験があれば解りますが、帯で締めて固定する服飾は「ズレやすい」という最大の難点があります
これに対しては「ちゃんと決まった動き方をすればズレる事はない」と言われたりもしますが、裏を返せば「動き方を身に着けなければ着れない服」という事
それは「人が服を選ぶ」のではなく「人が服に選ばれる」という事の裏返しでもあります
「服に着られる」とも言えます
その他にも箸という食器も当てはまるのではないでしょうか
アジアで一般的と言えど匙だって有ったのに、使いにくい食器を使い続けるのは「文明が発展する事を拒んだ」と考えられます
「それくらいの事ちょっと頑張ればいいだけ」理論です 根性論とも言えます
この根性論に忍耐し、難しい事をこなす事が「一人前の大人」と考えられていた為に、着るのが簡単になる発明も拒んだのではないか?
という考察です
その結果が関東大震災で動き辛さが問題になって、洋装化した原因にもなったと言えます
もう一つの嫌がらせですが、武士身分とかも問題です
日本の身分制度はかなり昔から「服装の制限」がありました
紫色の服が最も高い身分とか今でもよく言われますね
江戸時代でも変更点はあれど色々禁止されてました
前述の合羽は「半・長」で武士身分とそれ以下の身分で分けられていました
長合羽を着て良いのは武士身分以上だけと制限されたりしたみたいです
そもそも合羽自体が江戸初期に禁止されたそうです 理由は「武士身分以下の商人が武士より高級な服着てるから」とか
「奢侈禁止令」と言えば有名ですが、本当に色々禁止してました
武士身分以下は云々 は、よく聞くフレーズ
ボタンも装飾を凝らした物が出てくる様になると禁止していたのではないでしょうか
その結果が、服飾文化は横にも縦にも発展せず、柄模様が少し変わった程度だったのだと思われます
よくTVでも「着物の世界は奥が深い」なんて言いますが、描いてある絵が違うだけで大きな変化はありません
かなり保守的な姿勢だった事が伺えます