江戸時代、冬に着ていた着物「合羽」 コートと違って室内で着る事もある
昔の人がどんな生活をしていたかという話で「服装の話」はよく挙げられます
その中でも冬季の寒い中で、どんな格好をしていたかという事を記します
まぁ習慣としては至極当然な話で「重ね着」が一般的でした
稀に「えっ!?お着物はもっと厳かに着る物なんじゃないの!?」と言われますが、西洋文化本来のマナーを知らない日本人が
「現代で習慣化した洋服で厳かにマナーを守る人がどれほど居ますか?」
という理論と同じく、被服という道具にそこまで拘りを持つ人は今日でも稀です
メディアの影響で「和」という物が「厳か」という印象になっていますが、着席時にスーツのボタンを外さない日本人同様に「本来のマナー」は一般的なものではありませんでした
しかし重ね着以外になかった訳ではなく、ちゃんと防寒着として用いられた服もありました
それが「合羽」です
合羽はポルトガルから伝来した「南蛮服」の一つで、本来の形状はマント状の服でした
本来の形状は「丸合羽」(坊主合羽とも)に伝統されましたが、袖を付けた「袖合羽」も作られました
この袖合羽を丈の長さで分類したのが「長合羽」と「半合羽」です
この袖合羽が和服に於ける防寒着だったかと言うと、そうではない様です
夏用に作られた透ける程に薄い生地の合羽もあった様で、季節を問う服ではなかったご様子
江戸期には「座敷合羽」と呼ばれた、室内でも着用される合羽が作られる程でした
西洋文化ではよく「室内ではコートを脱ぐ」と言う習慣がありますが、日本文化では羽織は室内でも着ます
そういった風習の違いから日本では雨用の合羽でも無い限り、室内でも着ていたのかもしれません
着流しや袴と違って紐や帯で締めて着るのではなく、鞐やボタン等の留め具を使って着装できる事で「着脱が早い」のが利点です
江戸時代後期に於いては「道行き」と俗称される様にもなります
これは歌舞伎の演目「忠臣蔵」でお軽という人物が道行きに合羽を着ていたシーンがある為、「お軽が着てた道行きが~」と言われだしたのが始まりの様です
明治以降は西洋文化の流入で、当時の人々がカタカナを使いたかったのか「東コート」や「着物コート」と呼ぶ様になりました
また鞐やボタンを無くし、スナップボタン(俗に言うプッチンボタン)を使い始めました
これは恐らく和装業界が「洋装はボタンや縫い目が装飾的な文化であるのに対し、和装は生地の柄のみ装飾とし縫い目が見えない事が良いとされる文化である」と逆張りしたのではないでしょうか(事実、西洋文化でも縫い目やボタンを隠す文化は伝統されている)
当時、不便さが原因となって洋装にシェアを取られた和装業界は、高級路線で生き残ろうとして上に書いた様な存在しない「しきたり」や「礼儀作法」を作り出す等、細々とシノギをして来ました
現代になって「嘘マナー」等が多いのもこれが由縁です
別に由緒正しくもなければ、伝統がある訳でもない
謂わば「相撲に於ける神道」の様な後付です
その為に鞐という「奈良時代から千年以上続く、日本伝統の留め具とそれを使う文化が断絶された」というのが実情です